負の気持ち+行動力

かき小屋のお通しは蒸し牡蠣だった。4人で行ったがひとり3つくらいあった。底の深い鍋のようなものに山盛りに入っていて、殻付きだと重が増すから視覚的に圧倒された。我々は生牡蠣を頼んでいた。蒸し牡蠣はその前に出た。気持ちとしては生牡蠣から蒸し牡蠣だった。しかし食べてみると蒸し牡蠣を食べてからのリフレッシュとしての生牡蠣、そこからの焼き牡蠣が正しいコースのように思えるくらい違和感がなかった。

 

牡蠣は食が細くなっても一生食える。牡蠣には特別のうまさがある。食してみるとそう思うが日常で牡蠣を食べたいと思うことはない。それがないとき、していないときに飢えを感じるもの。私はそれが焼肉とか小説だけど牡蠣はやはりそういうものではなかった。

 

この系列店に何度か来たことがあるという姉が生牡蠣を食べ終わったあたりで、いかの塩辛がのったじゃがバターを私に勧めた。私は芋など食べたら牡蠣の胃に入る量が少なくなると思ったが素直に注文したら驚くうまさだった。テーブルの中央が炉端焼きのようになっていて、じゃがいもとバターと塩辛が乗った鉄の皿を焼いた。いかの塩辛が焼けるととても美味しくなる。勧められたものというはたいていいいので素直に受け取るのがいい。

 

知り合いの躁鬱病の話になった。私は躁鬱病は躁転してきたときに死ぬという話を何度か読んだことがあったので、姉にその話をすると姉は意味がわからないと言った。私はその場で理論を話した。躁転するときというのは行動力が上がってくる。しかし鬱もまだ残っている。鬱ときは自殺する元気もないくらい行動することができないが、躁転の際に、負の気持ち+行動力で自殺にいたる。この理論はその場で考えたでっち上げだったが、話しているうちに、自分でも信じてしまうほどの説得力を感じた。今考えると、躁転するときに鬱もまだ残っているという部分が話の都合をよくした部分だ。