嵌められているのか?

新人が強烈なアニメ声の新人で自己紹介のときに部内がざわついた。こんな声の女と今年度はやるのかと思った。それから4日目にしてその声が癖になってきている。耳が聞きたがっている。もともとその声であるはずがないとは思うが地声が想像できない。今日は書類の入ったロッカーの前にしゃがんでいてパンツががっつり見えていた。私はこの女に嵌められているのか?

思想ではなく手段としてのBライフ

岡田利規の演劇で、精神が穏やかでなかった頃に、これさえあればいいと思っていた一冊として話されていたソローの「森の生活」。森で自給自足するソローが畑をたがやすことに喜びを感じている、その謳歌ぶりはいま思えば無理に謳歌している文章が気になる、というくだりがあった。終盤になって、しかしあのころ精神を支えてくれた本に対してシニカルになるのはやめよう、という方向へ話が進んでいくのが好きだった。文芸誌に発表された脚本しか読んでいない。ソローも読んでいない。

 

ミニマリストとかシンプルライフとか生活に対する哲学が先立ってあるのが、いまいち合わない感じがしてそれよりもダルさがベースにあるphaとかにシンパシーを持っていた。ずっと読んでみたいと思っていた高村友也の本がKindleにあったので買った。Bライフ。思想というより手段。読み始めてすぐこれだと思った。

 

<Bライフとは、安い土地でも買って適当に小屋でも建てて住んじゃおうという、言ってしまえばそれだけのライフスタイルだ。>

 

<100万円足らずの初期費用によって、月2万円程度で維持できるお気楽生活への道がちゃんと開かれていることを示したい。>

 

<Bライフは、筋金入りのサバイバルでもなければ、自給自足やDIYにこだわるものでもないし、スローライフやエコロジーライフ、ナチュラルライフなどというものとも違う。「金がなくとも心は……」といった根拠のない貧乏賛歌でもないし、「働かない」とか「もうリタイヤ」と決め込むわけでもない、働きたくなったら働けばいいし、「そこ」に帰ってくれば最低限の生活が保証されている、でも最低限だから維持費なんて全然かからない、そんな自分だけの安全地帯を、低予算で、しかし完全に独力で構築する。金もない、技術もない、知識もない、協力者もいない、そんな人でも、素人業の積み重ねでなんとなくそれらしいものを作って、なんだかんだで生活していく。>

 

『自作の小屋で暮らそう ――Bライフの楽しみ』高村友也

社員旅行へ行かないという熱意

前の会社の社員旅行はグループ制だった。5人以上のグループになれば金が支給される。1年目は言われるがままに函館に行って競馬を見た。2年目からは事情もわかって旅行を偽装する集団に入ってそれぞれでそれっぽい写真を近所でとり支給された金を山分けしたが会社も会社で対策を考えて集合写真のみOKとした。その年、我々は平日の昼に集まって公衆トイレで着替え草の茂みを探して写真を撮った。そんなバカなことをやっているのが10人くらいだった、みんな旅行には絶対行かないという熱意があった。

北斎の波、若冲の鶏、保坂和志ソロトーク2019/02/23に行った

保坂和志のトークメモ


葛飾北斎のかいた波の先が尖っている→ハイスピードカメラで捉えた映像がで見ると本当にそうだった。
若冲の鶏の群れの絵が手前より遠くの鶏のが大きく描いている→望遠カメラでみふると実際にそうなるのが確認された。

こういうことは証明されたからすごいということじゃない。

 

北斎や若冲は実際に波が尖ってみえたり、鶏が奥の方が大きく見えたからそうかいたわけではなく、デザインとして面白いからそう描いた。自然科学的にたんにある/ないで描いてない。そとに根拠を置いて描いたのではない。

 

人間(生命)のかたちの前にデザインがある。

 

 

 

靴紐がほどけている人

私よりもよっぽど疲れている忙しい部署の人がこちらに何かの用事で来た。話していた隣の人がその人が帰って行くとき、足元見た? 靴の紐が両方解けてたねと言っていた。片方はあるが両方となると精神が大丈夫か心配になっている。その人はかなりの内股なので転びやすい気もする。その人ほどではないが私も微妙に疲れが溜まっていて目がしょぼしほょぼする。睡眠時間を増やしたい。

部屋のなかが寒くて不快であってもいいのではないか?

修行僧の指導をしていた人が「冬に寒いのは当たり前なんです、寒い思いをするのが冬です」といっていたのを何年も前に聞いた。修行だから寒い思いをするのではなく、冬に寒いのは当たり前だからそれを受けるという意味。

 

この話を思い出したのは今日も外の最低気温はゼロ度でエアコンだけでは部屋は温まらないからで23度の設定にしていてそれ以上上げればもう少し温まるかもしれないが完全に温かくする必要はないのではないかと考えたからだった。エアコンでは部屋が温まらず寒い思いをするのがここの冬ということで、部屋のなかが微妙に寒くて不快であっていい。寒さを感じない快適なレベルを目指さなければいけないわけではない。寒さを辛く思いながら肩を丸くして暖かくなるのを待っている。

もういちどベルベルウイスキーを

1月1日にモロッコのベルベルウイスキーという砂糖がたくさん入ったミントティーをみんな酒がわりにガブガブ飲むので歯がない、ということを書いたら、またモロッコの番組がやっていて、それがベルベル民族の遊牧民を探しにいくというものだった。ベルベルというのは民族の名前だったんだ。写真家のヨシダナギが「モロッコの人って本当にどこいってもそのお茶を飲んでて本当に歯のない人が多いんですよ」と言っていた、参考写真に出てきた笑顔の老人の歯は口の中の中央の方から蜂の子が顔を出したみたいに数本だけわずかにあるだけで歯茎がどこだったのかも分からなかった。

 

酒が飲めないからベルベルウイスキーを飲んでいるという説明がここでもされていたが「イスラム飲酒紀行」を読んでからは、それも信じられない。みんな普通に酒を飲んでいる。夜に隠れて酒を飲み、昼にベルベルウイスキーを飲んでいるのだ。

便所サンダルが似合う男、似合わない男

便所サンダルを履いた男が目黒駅にいて足の甲のつっかける部分である、そこに空いた穴にパンクの銀色のツノをつけていた。ツノというかトゲか。冬だからその下に分厚くて赤い靴下を履いていた。服は野ブタ。をプロデュースに出てくる忌野清志郎みたいな感じだった。顔はボサボサしていた。パンクのツノは厚底の黒い靴、あるいはモノトーンの靴から生えていてもパンクの人の靴だなとしか思わない。しかし便所サンダルから生えているとすべての穴につけれているわけでなかったところどころにつけられていたそれがクールだった。サブカルおしゃれな友人が夏、茶色の便所サンダルを履いてきてまわりから流石にそれはおしゃれではない、と言われていたことがあるが本人のポテンシャルがまだ低かっただけだ。友人の裸足のガリガリで貧相な足に便所サンダルではそのままガロである。家の近くに古い靴屋があってボロボロのひさしに文化用品と書いてある。破れたところを補強したガムテープも破れてある。まだ営業を続けている。便所サンダルを買うならそこだなと思っている。

リハーサルの合間に船に乗る

米国の豪華客船の中を見れる抽選があった、クルージングではなく午前中の1時間かそこらで中を見学するだけである。倍率は相当なものになるだろうと一緒に見ていた会社の人が言っていた。わざわざ港まで行ってとまっている船の内装を見に行くことをしたい人がそんなにいるとは思えないから応募すれば当たる気がするが当たる気がする以外に応募する理由がなかった。ベルイマンの「夏の遊び」でバレリーナが午前中のリハーサルで照明がショートしてしまい復旧に夜までかかる。散歩に出たついでに港にとまっていた船に乗ってしまい近くの島に行くシーンがある。ついた島はうらぶれていて道の向こうから寂しい感じの女が歩いてきて通り過ぎて行く、それが当然だと観ているときは受け入れられた。